久しぶりに小説を読んでみた。芥川賞受賞作「コンビニ人間」。

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芥川賞受賞作、ということで純文学というくくりですね。
学生時代、海外純文学とか重たいのを読んでいた時期が懐かしいです。

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マイノリティであるということ

150ページほどのボリューム、タッチも軽いのですぐに読めます。
でも、質感はジットリしているので、この辺りは純文学の匂いがします。

主人公の古倉恵子は、小さい頃から他人とは違った感覚をもっており、周りからは奇妙がられ、家族からは心配される存在。いわゆるちょっと変わってるマイノリティ。

そんな彼女が、成長と共に自分が「普通」ではないことを認識していく中で、
自分が存在感を出さないことが、周りや家族にとって最善の方法であると考え、
必要最低限の関係性のみで生きていきます。

社会との関係性も必要最低限であった彼女が、自ら社会との関係性を持とうとしたのがコンビニのアルバイト。この特別ではないコンビニでの時間が、マイノリティである彼女の生活の重要な部分を占めるようになっていくわけですが・・・。

みんなそれぞれ他人と違う感覚って、多かれ少なかれ持ってますよね。
その違った感覚が顕在化したとしても、大抵はどちらかが我慢するなり、適当に調整するなりして丸く収めながら社会は回っていくわけで。

でも、うまく丸め込めない程のマイノリティって、やはり社会にとっての「異物」というポジションになっていくのが世の中だよなぁ、と感じます。

人は「世界という箱庭」の中で、どんどん普通になろうとしているのか?

白羽さんという、これまたマイノリティな男性が絡んでくる中で、ストーリーは奇妙な感じに進んでいきます。

彼は、現代が”機能不全世界”だと毒づき、この世は現代社会の皮をかぶった縄文時代そのものだと言います。ムラ社会の中で役に立たないマイノリティは、最終的には排除されると。

今の時代個人主義が進んで、昔に比べて人間関係も希薄になり、周りの人間にも興味を持たなくなったといわれて久しいですね。

一見、ムラ社会などは崩壊し、個人々々が好き勝手できる状況の様にも映るけど、ネット社会の発展により情報はグローバルに共有し、周りが知っていることは皆が知っているという没個性の時代。

コンビニにくる常連客のおばあちゃんが、コンビニに来るたび「本当に、ここは変わらないわねえ。」と呟いている言葉が、縄文時代から本質的には何も変わっていない「世界という箱庭」の現在を物語っているのかも知れません。

人間が進化しながら目指している地点は、「普通」という名の安住の地なのでしょうか?

自分の感覚に素直でいることができない、現代人へのメッセージ

現代という時代は、本当に素の部分が出しにくい時代になりつつあるのかも知れません。
グローバルスタンダードを合言葉に、世界はどんどんとその距離を縮めていっています。

一個人が、地球の裏側で起こっていることを即座に知ることができ、逆に隣にいる家族の気持ちが分からなくなっていたりする現代。

本当に自分がしたいことは何なのか?
本当の自分はどうありたいのか?

主人公が最後に、「私はコンビニ店員という動物なんです。その本能を裏切ることはできません。」と、コンビニのために存在している自分に誇りを持っている異様な解放感。

現代の「普通」の誰もが、その本能を裏切らずに生きてるとはいい難い、大変な世の中なのでしょうね。そんな人たちへのメッセージが、この本には込められている様な気がしました。

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【編集後記】
コンビニ人間、面白かったです。
芥川賞受賞作、おそらく初めて読んだことになるはずです(苦笑)。

【昨日の一日一新】
・ダイエットドリンク

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